2場所連続優勝を経て,横綱昇進に王手がかかる大の里関。若くして頭角を現した彼の強さは学生時代にありました。
大の里関の学生時代を紐解くと,学生時代から数々の成績を残していました。
今回は大の里関の出身学校は?スピード出世の裏側にあった学生時代の歴史についてまとめてみました。
大の里の出身小学校は津幡町立津幡小学校

大の里関の出身小学校は石川県の津幡町立津幡小学校です。
阪神ファンの父親の影響もあり,当時の大の里少年は野球に興味を持っていたそうです。
ですが,父親は全日本青年相撲選手権団体で優勝した経験もあったことから,津幡町少年相撲教室へと通わせました。
相撲に出会った小学1年生
小学校1年生から津幡町少年相撲教室に通い,相撲の基礎を学び始めました。当時の大の里少年は「嫌々だった」と泣きながら通っていたそうです。
体格は恵まれていたため,相撲教室に通ううちに北信越大会では敵なしになるまで成長。野球熱はすっかり冷め,相撲と真剣に向き合うようになっていきました。
頭角を現した小学4年生
幼少期から恵まれた体格を活かして,大の里少年はみるみる成長しました。
石川県の少年相撲選手権では個人優勝。全国少年相撲選手権大会では団体準優勝。その才能を開花させ始めます。
その頃には相撲を見ることが好きで,相撲雑誌を読むようになっていたと話しています。
大きな転機となった小学6年生
大の里少年もずっと順風満帆だったわけではありません。
小学校6年生の時に参加した全国わんぱく相撲大会ではパリ五輪の柔道男子銀メダルの村尾三四郎さんに敗北するなど伸び悩んでいました。
そしてたまたま地元で行われた高校相撲の全国大会を観戦していた際に,石川から新潟に行った三輪隼斗選手が活躍していた姿を目撃しました。
大の里少年はその姿に感化されて,「もっと強くなりたい」と地元から離れた新潟県にある糸魚川立能生中学校を目指したのです。
まさに闘争心に火が点いたのでしょう。当時の心境について,大の里関は「最初の転機だった」と振り返っています。
- 石川県少年相撲選手権大会で個人優勝(小学4年生)
- 全国少年相撲選手権大会で団体準優勝(小学4年生)
- 全国わんぱく相撲大会に出場(小学5, 6年生)
大の里の出身中学校は糸魚川立能生中学校

大の里関の出身中学校は新潟県にある糸魚川立能生中学校です。
こちらの相撲部は強豪としても知られ,卒業生には大の里関のほか白熊優太さんや嘉陽快宗さんがいます。
親元を離れて相撲留学するというのは,中学生の覚悟としては相当なものだと思われます。
だからこそ,大の里関の強さが培われたのかもしれません。
自立した中学生
相撲のきっかけを作ってくれた父親は大の里少年をとても気にかけていました。
練習や大会の度に新潟に駆け付けていたそうですが,大の里少年からは「もう僕に相撲の指導はしないで」と言われたそうです。
当時のことを父親は「さみしくもあったけど,自立しようとする姿に胸が熱くなりました。」と話しています。
そして中学3年生の時には数々の成績を残し,相撲の強豪校・海洋高校へと進学しました。
裏切り者と言われた家族の思い
大の関少年の思いを汲み,快く送り出してくれた家族。そんな相撲留学は地元からは反発があったそうです。
相撲どころの石川県を離れて他県に留学させたことを良く思わない方々からは「裏切り者」と言われたと父親は話しています。
地元の津幡町少年相撲教室で指導をしていた父親も,それまでのように指導できなくなってしまいました。
そのことに関して,大の里関はのちに「オレたち親子は本当につらかった」と涙ながらに話していたそうです。その優しさに,父親としては優勝よりも横綱昇進よりもうれしかったと話しています。
家族の理解は大の里少年にとっても,大きな支えになったでしょう。家族との絆を感じるエピソードについては,こちらの記事でまとめています。
- 北信越大優勝(中学3年生)
- 全国都道府県中学選手権個人第3位(中学3年生)
- 全中個人ベスト32(中学3年生)
- 白鳳杯優勝(中学3年生)
大の里の出身高校は海洋高校

大の里関の出身高校は新潟県立海洋高校です。相撲の強豪校として知られています。
卒業生には三輪隼斗さんがいます。三輪さんは大学卒業後に,高校生の大の里関を2年指導したそうです。
本格的な相撲環境
海洋高校の相撲部では中学生との合同稽古を取り入れているそうです。
全国でも珍しい取り組みについて,同校の総監督は「一緒に練習すれば強化される。心のつながりがないと諦めてしまうので,共同生活を始めた」と話しています。
中学生としてはレベルの高い相手との手合わせはとても大きな経験になります。
高校生としては基礎や自分を見直す貴重な機会になるのでしょう。
何より,互いに心の支えとなることが取り組み続ける原動力になるのかもしれません。
こうして全国でも有数の強豪校となったのでしょう。大の里少年はそんな環境に身を置いたことで急成長を遂げました。
食トレによる成長
寮での食事では1日あたり1人6合を完食することがルールだったそうです。
「食べるのも稽古の一環」ということで食トレを導入していたのでしょう。
そのおかげもあって,大の里少年の体格はさらに大きくなり,パワーも培われたと思います。
- 高校総体個人2位(高校1年生)
- 十和田大会個人3位(高校1年生)
- 選抜大会個人ベスト16(高校1年生)
- 高校総体個人ベスト32(高校2年生)
- 選抜大会個人ベスト32(高校2年生)
- 金沢大会個人3位(高校3年生)
- 高校総体個人ベスト64(高校3年生)
- 十和田大会個人優勝(高校3年生)
- 団体少年の部個人3位(高校3年生)
大の里の出身大学は日本体育大学

大の里関の出身大学は日本体育大学です。
当初大の里少年は大学に進学するつもりはなかったそうです。
高校時代から,合宿で日本体育大学に来ていたようです。日体大を選んだのは,先輩の白熊優太さんや嘉陽快宗さんの存在があったことも一つの要因でしょう。
強くなれたのは相撲を鍛えられる環境があったから
今でこそ頭角を現した大の里関ですが,自分が強くなれた理由についてこう振り返っています。

「日体大は土俵が3面あって,全部使っている。部員も多い(46名)ので日本一の好環境かな」
実際に,大の里関は大学時代にも数々の成績を残しています。適切な環境に身を置いたことが強くなれた大きな要因だったのでしょう。
強くなるためには、何かを犠牲にする必要がある
ほかにも,大の里関は強くなれた理由についてこう話しています。



「1年生の時は先輩から逃れる憩いの場は学校。ごはん食べ終わって学校閉まるのが午後11時。学校にみんな逃げてきてトレーニングをガンガンやって風呂に浸かって11時ギリギリに帰って寝るのが日課。」
寮の先輩が怖かったのでしょう。ですが,その気持ちがトレーニングに向かわせ,結果として強くなったという側面もあります。
楽しさもあり,自分の稽古・トレーニングができたと大の里関は振り返っています。
大の里関の強さの秘訣ともいえるかもしれませんね。
- 宇佐大会個人3位(大学1年生)
- 東日本新人戦優勝(大学1年生)
- 和歌山大会個人優勝(大学1年生)
- 東日本学生選手権個人3位(大学1年生)
- 金沢大会個人3位(大学1年生)
- 東日本学生体重別135 kg以上級優勝(大学1年生)
- 十和田大会個人3位(大学1年生)
- 全国学生体重別135 kg以上級優勝(大学1年生)
- 国体成年の部個人優勝(大学1年生)
- 全国学生相撲選手権個人優勝(学生横綱)
- 東日本学生体重別135 kg以上級2位(大学2年生)
- 全日本選手権ベスト8(大学2年生)
- 東日本学生選手権個人優勝(大学3年生)
- 東日本学生体重別135 kg以上級優勝(大学3年生)
- 全国学生体重別135 kg以上級優勝(大学3年生)
- 全日本相撲選手権優勝(アマチュア横綱)
- ワールドゲームズ重量級2位,無差別級優勝(大学4年生)
- 東日本学生体重別135 kg以上級優勝(大学4年生)
- 全国学生体重別135 kg以上級2位(大学4年生)
- 国体成年の部個人優勝(アマチュア横綱)
- 十和田大会個人優勝,団体少年の部個人3位(大学4年生)
まとめ


今や破竹の勢いで大活躍を見せる大の里関。その裏側には…
- 津幡町立津幡小学校:相撲に出会った
- 糸魚川立能生中学校:相撲留学をした
- 新潟県立海洋高校:プロを志した
- 日本体育大学:適切な環境で強くなれた
こうした学生時代を経て,現在に至るまでスピード出世を果たしてきました。
ちなみに先日,相撲協会から満場一致で横綱に昇進する運びとなりました。
そして2025年5月28日,大の里の横綱伝達式が行われ,正式に横綱へと昇進しました!おめでとうございます!
最後に,大の里関の横綱伝達式での口上を紹介して終わりにしたいと思います。



「謹んでお受けいたします。横綱の地位を汚さぬよう稽古に精進し,唯一無二の横綱を目指します。」
最後まで読んでいただき,ありがとうございました。
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