2025年6月に長嶋一茂さんが旅立たれました。愛妻家だった長嶋さんでしたが、妻・亜希子さんは2007年に先立たれています。
生前、長嶋一茂さんも「生まれ変わっても、もう一度結婚するのは女房」というほど亜希子さんは偉大な存在だったようです。
そんな亜希子さんを襲った病と闘病生活についてまとめました。亜希子さんの存在は長嶋家の騒動を抑え続けるだけのパワーがあったようです。
母・亜希子さんの病気は?
死因は膠原病

2007年9月17日に亜希子さんは長男・一茂さん夫妻と食事をした後、体調不良を訴え、入院しました。
ところが翌日の9月18日に、そのまま亡くなってしまいました。64歳でした。
生前、亜希子さんは膠原病を患っていたといわれていて、20年近く人工透析を行っていたという話もあります。
ちなみに、この「膠原病」というのは病名ではなく、グループ名のようです。なので厳密にいえば、正確には何が死因となったのかは分からないですね。
グループ名 | 病名 |
---|---|
膠原病 | 全身硬化症、皮膚筋炎、関節リウマチ、 … |
心臓疾患 | 心筋梗塞、狭心症、 … |
「心不全」や「自殺」ではない

当時の報道やwiki情報では、死因は「心不全」と書かれています。しかし、これもまた病名ではなく、情報を公にできないときの報道的な言い回しだそうです。
近親者のみで密葬を行うためにも、あまり大事にしたくなかったという長嶋家の意図があったのでしょう。
そのため世間からは亜希子さんの死因に関する憶測が飛び交い、ついには「自殺なのでは?」といううわさまで立っていました。もちろんこれはデマです。
母・亜希子さんの存在
長嶋茂雄を公私共に支え続けた

亜希子さんは長嶋茂雄さんと出会ってわずか40日で婚約、100日後には結婚というスピード婚でした。
結婚後、亜希子さんは表舞台には現れず、家庭に専念していました。
そして4人の子どもを育てながら、長嶋茂雄さんの個人事務所「オフィスエヌ」の代表取締役も務めていました。まさに公私共に長嶋茂雄さんを支え続けました。
長嶋茂雄さんとしても、選手・監督として野球に専念することができたのは亜希子さんあってのことです。亜希子さん無くして私たちの知る『長嶋茂雄』はいなかったでしょう。
次女・美奈さんが事務所代表を引き継ぎ

亜希子さんが亡くなった後、次女・美奈さんは長嶋茂雄さんの個人事務所「オフィスエヌ」の代表取締役を引き継ぎました。
長嶋家の長女・有希さんや次男・正興さんは一般人として生活しており、表舞台に出ることはほとんどありません。そういった観点でも、次女・美奈さんが引き継ぐのが妥当という判断なのでしょう。
家族トラブルが勃発

亜希子さんが亡くなって以降、早速長嶋家のトラブルが勃発しています。
2010年に事務所代表を引き継いだ次女・美奈さんと「ナガシマ企画」という別の事務所を持つ長男・一茂さんとの間にトラブルが勃発しました。
これが『長嶋茂雄の商標権騒動』になります。その後も遺産相続をめぐる発言が注目され、長嶋家のバランスはどんどん悪化していくばかり…。
いかに母・亜希子さんの存在が大きかったのかが分かりますね。長嶋家の騒動を鎮静化していた大きな存在でした。
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